[亀岡市農業協同組合] [ケイネットワールド・ドットコム]

この情報は、亀岡市農業協同組合さまの提供でご覧いただいています。
ページ数は「あぐり8月号の掲載ページを表します」
(現在、ページ数の順に表示しています。)


今月のあぐり天使は池田由貴子さん (20歳)

保育所にお勤めで四歳児を担当の彼女は「多くの子供たちに囲まれて楽しく、変化のある毎日の中でたくさんの発見があります」と話します。 「マイペースな私。相手のことを考えられ、思いやりのある人になりたい。」と由貴子さん。
趣味は映画・音楽鑑賞で、夢は色んな国を旅をしてまわること。理想の男性は明るくてスケールが大きく、目標に向かって頑張っている人。香取慎吾さんがタイプ。

由貴子さんにメイルを送ろう! Mailto:池田由貴子
          (弊社あぐり天使メールボックス)
 ・お返事は出来ない場合があります。
☆左の写真ともう一枚の写真が見られます。
 [タイプA] [タイプB]



「夢」タイムカプセル  学校の先生になりたい
こんにちは赤ちゃん  育児Q&Aのコーナーを設けています



移動 情報員 掲載ページ 地区
山本俊雄情報員    4ページ 千代川地区
高齢者安全運転体験会の記事 4ページ 曽我部地区
広瀬友彦情報員 4ページ 千歳地区
塩野忠孝情報員 4ページ 亀岡地区
子安照美情報員 4ページ 吉川地区
広瀬友彦情報員 4ページ 千歳地区
山本俊雄情報員 4ページ 千代川地区
子安照美情報員 5ページ 吉川地区
塩野忠孝情報員 5ページ 亀岡地区
柴田浩治情報員 5ページ 宮川地区
子安照美情報員 5ページ 吉川地区
塩野忠孝情報員 5ページ 亀岡地区
稲荷豊情報員 5ページ ひえ田野地区
稲荷豊情報員 5ページ ひえ田野地区
小泉正男情報員 6ページ 千歳地区
美馬洋子情報員 6ページ 曽我部地区
加賀山千代情報員 6ページ 東別院地区
柴田浩治情報員 6ページ 宮川地区
俣野正明情報員 6ページ 千代川地区
福知治男情報員 6ページ 曽我部地区
稲荷豊情報員 6ページ ひえ田野地区
柴田浩治情報員 7ページ 宮川地区
畑恒夫情報員 7ページ 畑野地区
酒井宏允情報員 7ページ 保津地区
榎麗子情報員 7ページ 本梅地区
加賀山千代情報員 7ページ 東別院地区
畑恒夫情報員 7ページ 畑野地区
酒井宏允情報員 7ページ 保津地区
北條繁美情報員 8ページ 西別院地区
石田眞弓情報員 8ページ 東別院地区
石田眞弓情報員 8ページ 東別院地区
柴田浩治情報員 8ページ 宮川地区
家垣信行情報員 8ページ 東本梅地区
家垣信行情報員 8ページ 東本梅地区
酒井宏允情報員 8ページ 保津地区
家垣信行情報員 9ページ 東本梅地区
西口純生情報員 9ページ 保津地区
俣野正明情報員 9ページ 千代川地区
松本貞男情報員 9ページ ひえ田野地区
柴田浩治情報員 9ページ 宮川地区
加賀山千代情報員 9ページ 東別院地区
石田眞弓情報員 9ページ 東別院地区
俣野正明情報員 10ページ 千代川地区
稲荷豊情報員 10ページ ひえ田野地区
柴田浩治情報員 10ページ 宮川地区
加賀山千代情報員 10ページ 東別院地区
山本俊雄情報員 10ページ 千代川地区
家垣信行情報員 10ページ 東本梅地区
小泉正男情報員 11ページ 千歳地区
畑恒夫情報員 11ページ 畑野地区
稲荷豊情報員 11ページ ひえ田野地区
犬の飼い主見つかりました。 11ページ
家垣信行情報員 11ページ 東本梅地区
石田眞弓情報員 11ページ 東別院地区
柴田浩治情報員 11ページ 宮川地区
変わったいもづるの記事 11ページ 吉川地区
赤いヒマワリの記事 11ページ 河原林地区

 
巻頭 インタビュー      2001年8月号
西別院町犬甘野 原田 雅之さん(60歳)
 
法人化し和牛肥育に励む
写真左から
畜産経営をめざし原田さん宅で働く本梅町中野の中村良彦さん(25歳)、 原田雅之さん、脱サラし今年4月から両親とともに働く原田豊さん(32歳)

■原田さん宅の今現在の経営内容と、これまで取り組んでこられた経緯をお聞かせいただけますか――
 うちの経営は肉牛肥育、米、シイタケ生産の三本柱でやってきています。肉牛は今二百三十頭程いるんですか。田んぼは約一町七反あって、今年は水稲の作付けが約一町一反、あとは転作等です。シイタケは去年が二千本、今年は一千本の植菌。多いときは一万本程植菌したこともあったんですが、輸入自由化で値が崩れてしまって十年程前からは減らしています。シイタケが経営の柱だったんですが、肉牛肥育にウエートを切り替えてきているんです。
 それと、私が農業に従事するようになったのは三十一歳からです。亀高を卒業して、それまでは運送業をしていたんです。昭和四十六年から三十頭規模で肉牛肥育を始め、翌年からシイタケ栽培にも取り組みました。三千本植菌して、それから増やしていきました。米は一町二反程でした。その時分、転作はなかったので正味です。
 昭和六十三年やったかな。五十頭規模の牛舎を増築。そして平成七年、十二年、今年と、それぞれ五十頭規模の牛舎を増築してきたんです。それと、去年には法人化し有限会社「原田畜産」としてスタートを切り、十月から中村君を迎えて、また今年四月から息子も加わり、三人で肉牛肥育に励んでいます。

■これまでの苦労話、ここが原田さん宅の経営のポイントだというところは――
 オイルショックの時分でしたね。子牛の値が高騰して、ひどい赤字になったことがありました。出荷した牛も高くは売れましたが、今度子牛を導入するのに同じ値なんですよ。牛は怖いなぁと思いました。それ以後、牛肉の輸入自由化もありましたが、割合順調に行っています。
 それと、経営のポイントですか……。やっぱり物を作るということは、それに熱中してやらんといかん。完全に目の届く範囲の中でね。特に牛なんかは金額が張りますから。一頭いわしてしまったら、百万円の損ですわ。事故を出さないように、管理を徹底することですね。


■中村さんにお伺いします。 原田さん宅で働かれるようになったきっかけは――
 幼い頃、家にも二頭ぐらい牛がいて、共進会で賞をもらったりしたはったんです。「そういうなんもおもしろいかな。将来は畜産経営をめざしてみよう」と農芸高校へ進み、東京農大畜産学科、そしてアメリカへ二年間研修に行っていたんです。JA預託牛部会のみなさんとも交流がありまして、アメリカからの帰国の報告をしているうち、部会の方から手伝ってくれないかという話になり、原田さん宅でお世話になることになりました。

■豊さんはUターンして、この四月から農業、畜産に従事されているんですよね――
 そうです。これまで勤めていたところを辞め、四月からはここが職場です。京都市内に住んでいて、子供の学校の関係とかもあってすぐには戻れず、今は京都から通っています。今のところシイタケや野菜作りの仕事が中心で、牛の方は雑用的なことしかできませんが、牛飼いの方も勉強していきたいと思っています。


■原田さんから若い二人にアドバイス、エールを送ってください――
 畜産のほとんどは中村君がやってくれていますし、私とか息子は雑用的なことをやっています。よく頑張ってくれますわ。今、「原田畜産」の役員になってもらう段取りを進めてもらっているところなんです。
 野菜でも何でも一緒ですけれど、生き物やさかいに常に気を配って管理すること。手抜きは事故が付いてまわりますから、 気合を入れて頑張ってほしいです。


資料提供 発行 亀岡市農業協同組合   編集 管理部総合企画課 
  
web制作 ケイネットワールド・ドットコム

戻るボタン